New-Village

月間ブログ。だいたい1カ月に1回は更新しているようです。

「何をしたいのか」「何になりたいのか」

ここ最近、辞表を出したり、面接を受けたりした際に必ず聞かれたのは「何をしたいのか」「何になりたいのか」というものであった。上辺の回答は得意中の得意だが、本質的な回答ができなくて苦しんできた。というよりも、本質的な回答に至る、手がかりさえつかめずに苦しんでいた。

本当に変な話だが、昨晩の夢の中で、自分の部長と取引先の部長と浜松町の飲み屋に行って(?!)色々話をしているうちに、解法が見つかったような気がした。

はじめは、Railsチュートリアルの余興として書いていたが、真面目に書いた方が良いと思い始めたので、別記事とした。

 

小さい頃は「何をしたいのか」「何になりたいのか」といった質問に明確に答えられていた。将来の夢はと聞かれれば「宇宙飛行士になりたい」と答えていたし、やりたいことや欲しいものは、すぐに答えられた。

なぜ、今の自分は、当時のように即答できなくなったのか。就職してからこの問いに悩むようになったこともあって、社会人と呼ばれるようになって「退化」したものだと、体制に流されるようになったものだと、考えていた。

しかし、昨晩の飲み会(笑)で、これは誤りであることがはっきりした。

なぜ、「何をしたいのか」「何になりたいのか」といった質問に答えられないのはなぜか。それは、自分の責務が及ぶ範囲が大きくなったからだ。

なぜ、小さい頃は「何をしたいのか」「何になりたいのか」といった質問に答えられていたのか。それは、私人としての自分しか存在しなかったからだ。

なぜ、今の自分は「何をしたいのか」「何になりたいのか」といった質問に答えられないのか。それは、私人としての自分以外に、会社人としての自分や社会人としての自分という、新たなキャラクターが生まれたからである。

複数のキャラクターが満足する「何をしたいのか」「何になりたいのか」という質問の回答は、「充実した私生活/仕事」であったり「お金を稼ぎたい」といった、それぞれのキャラクターに共通した、抽象的な回答しか出てこない。

複数の異なる欲求を持ったキャラクターが一個人に内在していること。そして、それぞれのキャラクターが個別の欲求を持っていること。そして、その状況の変化を認識していなかった事。これが、「何をしたいのか」「何になりたいのか」という質問に対して明確な回答ができなくなった原因である。

あとがき

救いようも無いくらい阿呆で下らない話である。人生の先輩方は、よく付き合ってくれたものと思う(迷える後輩を導くのも、会社人や社会人の勤めなのかもしれない(笑))。しかし、ここまで下らない悩みに数年を無駄にした自分への戒めとして、記しておきたいと思う。